本物の先生に教わろう

本物の先生に教えを乞う。そのために本物を見抜くことを考えましょう。

生徒を成長させ、保護者から感謝され、先生方に信頼される。そんな先生を目指すなら、本物の先生と話そう。時間は有限です。そうなれば、本物とそうでない人を見極める必要があるということです。

「教員免許をもっているから本物だ」という方もいると思いますが、僕が言っている『本物の先生』とは、『実力と実績のある先生』という意味です。

しかし、本物を見極めるのは難しい。

そこで、僕が思う『もう少し努力が必要な先生』の例を挙げてみようと思います。『実力がある先生』は、これから紹介することをすることは稀です。

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提案するときに、大切なものを省略してしまう。

職員会議、分掌部会、学年部会で提案する先生がいます。その際に、こんな言い回しを聞いたことがあるでしょう。

「目的はお読み取りください」

そこが一番大切なところで、共有するべきところであるのにです。ひどい先生は、昨年度の目的を使いまわします。

「生徒がこんな姿になってほしい。生徒がこんな関わりから、こんな思いをもってほしい。生徒の心をこんな風に変えていきたい。

・・・そのために、この活動を以下の手順でやっていきたいと思います。手順は読んでおいて下さい。何か不備があったり、質問があったら、後で教えてください。」

どちらかを省略しなければならないなら目的ではなく、手順です。そこに書いてあるのですから。

手段は何百通りもあります。

現状を知り、見通しをもち、調整しながら、粘り強く活動を進めていきたい。そう考えると、目的を飛ばしてはいけません。

目的、ゴール、目指す姿、などを先生たちが共有し、生徒たちと共有し、いろいろな困難が待っているが、そこを調整して乗り越えていくようにしていきたい。

手順を示し、それ通りにやっていくとなれば次のようなことが起きてしまいます。

手順を追っていくと、必ず困難が立ちはばかります。すると、提案者に「こんな困難があるんだけど、計画がずさんなんじゃないの?」「こんな困難があるんだけど、どうすればいいですか?」

こんなことを言う先生は、手順を追うことが先生の仕事だと思っています。

先生の仕事は、生徒を成長させることです。

基本となる手順は示されるが、それ通りにいかないことは多いものです。ゴールまで辿り着けない時もあります。それでも目的が共有されていれば、そこに向かって生徒は成長することになるのです。

私は○○畑と自分で言ってしまう。

先生はオールラウンダーでなければ務まらないものです。

「授業が好き」「学級経営が好き」…それはいいことだと思いますが、「僕は研修畑だから」「私は生徒指導畑だから」というのはよくないと思います。

目の前で生徒が活動しています。そこに畑は存在しません。だから先生をやる以上、自分をカテゴリーの中に、はめ込んではいけないと思うのです。

先生はオールラウンダーであることが分かっていて、得意分野として○○畑と使うのはよいのですが、逃げに使うのはいただけません。

チームで対応を逃げ道にしている。

チームで対応することは大切です。しかし、責任を負う覚悟と技術をもった個々の先生がチームで対応するから機能することを理解しましょう。

「あの先生は、生徒指導が得意だから頼もう」「この先生は、細かい作業が得意だから頼もう」「あの保護者と仲がいい先生がいるからお願いしよう」

なんだか、個性を活かした素敵な集団に見えます。しかし、一人では何もできないって言うことと同じです。

そして、チームで対応するということを隠れ蓑に、自分の意見を持たない先生がいます。

「学年主任、○○さんがこんな問題を起こしました。どうしましょう?」と。

先生として、起きた現場でどう対処したか?この後、どんな指導をしていくのか?そのために、人と時間と空間を必要とするのか?

何も動かず、意見も出さず、責任もとらず、スタンスは「チームで考えて、チームで決まったことをやります」か「言われればやります」というものなのでしょう。

それでは、チームで対応するとは言えません。

学年主任、教務主任になった方がいい活躍をしている

担任で苦労していた先生が、学年主任になったら、その学年がうまく回る時があります。それは、マネージメント能力が高いか、その学年の担任の先生方が実力者ぞろいの時でしょう。

僕たちは生徒と直接対峙して、生徒とコミュニケーションをとり、成長を促していきます。

生徒と離れてからの方が力を発揮しているようなら、自分を恥じたいものです。

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