「よさ」と「良さ」の違い、説明できますか?
「よさ」と「良さ」。
同じように使われることが多い言葉ですが、その違いを説明できますか。
私は、あえてこの二つを使い分けています。
もちろん、辞書に書かれている意味とは違うかもしれません。
でも、教師として子どもを見るとき、この二つを使い分けることで見えてくるものがあると思っています。
この記事を読み終えたとき、「なるほど、そういうことか」と感じてもらえたらうれしいです。
私は、「良さ」と「よさ」をあえて使い分けています
まず、「良さ」を考えてみます。
数直線を思い浮かべてください。
悪い ←────────→ 良い
右へ行くほど「良い」と評価されます。
テストの点数が高い。
運動が得意。
発表が上手。
リーダーシップを発揮した。
こうしたものは、一定の基準で評価されやすく、他者と比較されることもあります。
私は、こうしたものを「良さ」と捉えています。
もちろん、それが悪いということではありません。
教師として、その成長を認めることは、とても大切です。
でも、私が本当に見たいのは、その数直線の上に表れるものだけではありません。
その子自身の内面から、自然ににじみ出てくるものです。
「80点取れたね。」だけで終わらせたくない
例えば、テストで80点を取った子がいます。
「80点取れたね。」
もちろん、それも一つの見方です。
でも、私が見たいのは80点という結果ではありません。
最後まで丁寧に解いていたこと。
難しい問題にも粘り強く向き合っていたこと。
分からなくても途中であきらめなかったこと。
そうした、その子自身から自然ににじみ出ているものです。
行動の奥にある思いを見る
優しさも同じです。
友達を助けたという行動だけを見るのではありません。
困っている友達を見て、「声をかけよう」と思った気持ち。
誰かのために動こうとした思い。
そうした内面からにじみ出るものに目を向けたいと思っています。
リーダーシップにも、その子らしさがある
リーダーシップも同じです。
前に立ってみんなをまとめたからよい、という話ではありません。
「誰かがやらなければ。」
そう思って一歩前へ出たことも、その子のよさです。
一方で、
「この人が前に立った方がまとまる。」
そう考え、自分は支える側に回ったことも、その子のよさです。
役割だけを見れば、一人はリーダーで、一人はサポート役です。
でも、その行動の背景にある思いに目を向けると、どちらにもその子らしさがあります。
教師に求められるのは、「よさ」を見付ける感性
学校では、「子どもの良さを見付けましょう」という言葉をよく耳にします。
もちろん、その考え方自体は大切です。
しかし、私たち教師が見ているのは、本当にその子の「よさ」なのでしょうか。
気付かないうちに、「良さ」ばかりを見てはいないでしょうか。
私は、「良さ」と「よさ」を意図的に使い分けています。
「良さ」は、良い・悪いという評価の中で語られやすいもの。
結果として表れたもの。
比較されやすいもの。
一定の基準で評価されるもの。
一方で、「よさ」は、その子自身の内面から自然ににじみ出てくるものです。
教師がその子を理解しようとすると見えてくるもの。
だからこそ、比べるものではありません。
子どもを見るとき、結果だけを見るのは簡単です。
でも、その結果の奥には、その子だけの思いや考えがあります。
そこに目を向けられる教師でありたいと思っています。
教師として磨き続けたいのは、子どもの「よさ」が分かること。
子どもの「よさ」を理解すること。
そして、その「よさ」を子ども自身や保護者へ、自分の言葉で語れること。
そんな教師としての感性を、これからも磨き続けたいと思っています。
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