「子どもの主体性を大切にしたい」
そう考えること自体は、とても大切です。
でも、その言葉が、
「教師はできるだけ関わらない方がいい」
「子どもが考えたことは、そのまま実現した方がいい」
という意味になってしまうことがあります。
でも、なぜ関わらない方がいいのでしょうか。
なぜ、子どもの考えをそのまま実現することが、主体性を大切にすることになるのでしょうか。
教師が関わることも、関わらずに待つことも、問いを投げかけることも、子どもに任せることも、すべて手段です。
考えるべきなのは、子どもの主体性が育つために、教師は何をすべきなのか。
そこからではないでしょうか。
主体性は、育っていく資質・能力
主体性は、「ある子」「ない子」と分けて終わるものではありません。
自分で考える。
理由をもって判断する。
周囲の意見を聞く。
意見の違いを調整する。
うまくいかなければ、自分たちで修正する。
こうした経験を重ねる中で、少しずつ育っていくものだと思います。
文部科学省は、資質・能力の三つの柱の一つである「学びに向かう力、人間性等」に、「主体的に学習に取り組む態度」や、自己の感情や行動を統制する力、よりよい生活や人間関係を自主的に形成する態度などを含めています。
また、「主体的に学習に取り組む態度」の評価を踏まえ、児童生徒が自ら学習の進め方を改善できるよう、教師が指導・支援していくことの重要性も示しています。
つまり、主体性は「子どもに任せておけば自然に現れるもの」と捉えるのではなく、学校教育の中で育っていく資質・能力として捉える必要があります。
だから教師は、
「できるだけ関わらないようにしよう」
と、自分の行動を先に決めるのではなく、
「この子たちの主体性が育つために、今、何をすべきなのだろう」
と考えるべきなのです。
関わることも、関わらないことも手段
教師が関われば、子どもの主体性を奪う。
教師が関わらなければ、子どもの主体性が育つ。
そんな単純な話ではありません。
教えることもある。
問い返すこともある。
情報を渡すこともある。
少し待つこともある。
子どもに任せることもある。
どれも手段です。
しかも、選んだ手段がいつもうまくいくとは限りません。
問いを投げかけても、考えが深まらないことがあります。
任せてみたけれど、うまく進まないこともあります。
少し関わったことで、かえって活動を止めてしまうことだってあります。
教師の働きかけに、毎回正解があるわけではありません。
だからこそ大切なのは、
「子どもの主体性が育つために、今、何をすべきか」
という目的から、働きかけを考えることです。
「主体性を大切にしたいから、何もしない」
と最初から手段を固定してしまったら、うまくいった、うまくいかなかったという以前の問題です。
子どもの思いを、そのまま通すことが主体性ではない
例えば、全校に関わる行事について、子どもたちからこんな提案が出たとします。
「今年度は縦割り活動をなくして、学級を大切にした活動を中心にしたい」
担当の教師が、
「執行部の子どもたちがそういう思いをもっています。子どもたちの主体性を大切にしたいので、この案で進めたいと思います」
と職員に説明する。
一見すると、子どもの思いを大切にしているように見えます。
しかし、全校に関わる方針を決めるのであれば、一つの思いだけではなく、さまざまな視点から考える必要があります。
縦割り活動における異学年での関わりには、どんなねらいや意味があるのか。
これまでの学校行事の積み上げをどう考えるのか。
来年度以降へどのようにつながっていくのか。
縦割り活動をなくすだけの理由があるのか。
こうした視点は、子どもたちだけでは十分に持てないこともあります。
だからこそ、教師が働きかけるのです。
「それは、何のためにやるの?」
「これまで大切にしてきたことは何だろう」
「別の立場の人から見たら、どう思うだろう」
問いを投げかけることもできます。
必要な情報を伝えることもできます。
違う考えと出会う場をつくることもできます。
その上で、子どもたちがもう一度考えればいい。
「子どもたちが決めたことだから」と教師が思考を止めてしまえば、その後に問題が見えてきても、教師自身が引くに引けなくなります。
子どもの思いを大切にすることと、子どもの主体性が育つように働きかけることは、同じではありません。
教師が働きかけたから、子どもたちが自走した
以前、市から「あいさつスローガンを考えてほしい」という依頼が学校にありました。
執行部の子どもたちは、最初、
「みんなからアイデアを募集しよう」
「最後は投票で決めよう」
と考えていました。
そこで教師が問いを入れました。
「執行部から依頼を受けた子たちは、どう感じるだろう」
「投票するとしたら、何を基準に選ぶのだろう」
教師が答えを決めたわけではありません。
しかし、その問いをきっかけに、子どもたちの考えが動き始めました。
「市のスローガンを自分たちの学校が考えられるのは、栄誉でもあるし責任でもある。それをみんなに伝えよう。そうすれば真面目に考えてくれるよ」
「市のスローガンなのだから、市の特徴が入っていることを条件にして募集しよう」
「人気投票より、選考委員が話し合って決めた方が、なぜその案を選んだのか説明できるんじゃない」
「それなら、アイデアを出した人も納得できるんじゃないか」
さらに、
「スローガンを掲げるなら、美術部にイラストやレタリングをお願いしてみよう」
というところまで、子どもたち自身で考え始めました。
その後、教師は意見を整理する程度で、一つ一つ指示する必要はありませんでした。
子どもたちは、目的を考え、条件を整理し、周囲と協力しながら、自分たちで活動を進めていきました。
結果として、完成したスローガンは市長からも評価され、イラストも採用されました。
でも、教師としてうれしいのは、スローガンやイラストが褒められたことだけではありません。
最初は「募集して投票すればいい」と考えていた子どもたちが、教師からの問いをきっかけに、目的や相手、選考の意味まで考え、自分たちで活動を進めるようになったことです。
教師が働きかけたから、子どもの主体性が失われたわけではありません。
教師が働きかけたことをきっかけに、子どもたち自身が考え、判断し、活動を進めるようになったのです。
子どもの主体性が育つために、何をすべきか
「今日は一切口を出さなかった」
「全部、子どもたちに任せた」
それ自体が、よい実践なのではありません。
逆に、
「ここでは教師が教えた」
「ここでは教師が問いを入れた」
ということだけで、主体性を奪ったことにもなりません。
教師が考えるべきことは、
この子たちの主体性が育つために、今、教師は何をすべきなのか。
情報が必要なら伝える。
考える視点が足りないなら、問いを投げかける。
自分たちで考えられそうなら待つ。
任せられるなら任せる。
手段はいくらでもあります。
教師が関わることも、関わらないことも目的ではありません。
目的は、子どもの主体性が育つことです。

主体性を大切にするからこそ、そのために何が必要なのかを考え、働きかける。
「主体性を大切にしているから、何もしない」と手段を先に決めるのではなく、目的から手段を考える。
それが教師の仕事だと思います。
一方で、教師が細かな指示を出し続ければ、今度は子ども自身が考え、判断する機会を奪います。
その反対側の問題については、「細かな指示が、子どもの判断を奪う」で考えています。
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