その掲示物、生徒が成長しますか…

今年の目標、自己分析などが掲示されている教室があります。

それらを学級全体にに向けて発表する機会を設けている学級があります。

生徒のどのようなことの成長をねらってのことなのだろうと疑問に思います。

そんなことを一緒に考えてみましょう。

目次

目的と手段を間違えないように。

今年度の目標を掲示する目的は何ですか?

みんなに宣言することでしょうか。それを他の生徒が認識することでしょうか。それとも、「掲示するんだから書きなさい」と目標を立てる理由にするためでしょうか。

何か明確な目的があり、生徒の成長につながるのであれば、知りたいと思う。僕には全くイメージがつかないのです。

目標を立てる、それを掲示するのは、生徒が成長するための手段であるはずです。ならば、目的を明確にし、目的に向かっているのかどうか確認しながら取り組むべきなのです。

「みんなが見るんだよね」

「掲示するの?じゃあ、みんなに見られちゃうじゃん。だったら、見られてもいい目標を書こう。」と思うのは、僕だけでしょうか。

もし、僕が目標を立て、職員室に貼りだされるのであれば、当たり障りのないものを書きます。達成可能で、馬鹿にされず、誰も傷つけず・・・本心からは程遠いものにするはずです。

生徒も同じです。そんな表面だけの目標を立て、掲示して、どんな意味があるのだろう。

そもそも、他人の目標を最初から最後まで読むのだろうか。好きな同級生のは読むだろうけれど。

目標をもつことが悪いわけではない。

生徒が目標をもち、それに向かって学校生活を送ります。それを担任が共有し、支えていきます。

そんなことをイメージするのであれば、掲示や発表はマイナスに動きます。なぜなら、本心から遠ざかるからです。

掲示するのであれば、家の自分の部屋がいいと思います。

掲示物さびしいな。何を掲示しようかな?

こんな発想が出たら要注意です。目的と手段が入り混じってしまう。

掲示物が少なくても、学級通信が出なくても、けんかがあっても、勉強ができなくっても・・・目的に向かっていれば道は外れていません。

僕たち教師の共通の目的は、生徒たちが社会に出た時に、自分のことを自分で判断し、決断し、行動していく、そんな自立した人生を送る基礎を築くことだと思います。

教育基本法にある教育の目的や目標を僕はこのように嚙砕いています。

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