担任として行事をどう捉えますか?

体育祭、合唱祭、壮行会、全校集会、学年集会、始業式・・・それらの行事をどう捉えていますか?生徒たちは、その行事に向かって、自分の立ち位置で頑張ればいいのですが、担任の先生は目的が生徒と異なっていることを理解していますか?

目次

生徒を成長させるための行事という捉え。

担任の目的は、自分の学級の生徒を成長させることです。そして、その道のりに行事があったとしても、それは変わりません。

例えば、体育祭で勝ちを目指すことを第一に考えてはいけないのです。勝ちを目指すのは生徒。その行事を通して、どうやって生徒を成長させるかを考え、実行していくのが担任なのです。

当然、生徒ともに勝ちを目指す、目指しているように振る舞います。しかし、担任の思惑はその奥に秘めている状態がいいでしょう。。

もし、体育祭で勝ちを目指すことを第一に考えていたらなら「勝った。やった~。」「負けちゃった。よく頑張ったね」のどちらかしかありません。そして、次の日からリセットされた日常がやってくるだけです。

成長できましたか?どのあたりが?

担任としてのゴールを設定する

行事を通して生徒の成長を促すことを目的にするなら、行事の後で生徒個人の言動や考え方が成長していること、学級としての学びを獲得することをイメージしましょう。

例えば、リーダー役の生徒が、体育祭の後で「○○さんは、ただ言われたことをやっているだけで楽をしているように思っていた。でもそれは違った。私たちが多少無理なことを言っても、私たちの立場のこと、私たちが全体のことを考えて言ったことだから、すぐに行動しようとしてくれていたのがわかった。優しいし、考えが深いなと思った。」と振り返りで書いたらいいな、という具合です。。

もう一つ例を出すと、リーダー役の生徒が「リーダーは、リードする声かけができる人ではないと思う。ついてきてくれる人がリーダーなんじゃないかと思う。リードするという方法はいろいろあることに気付いた」とかです。

学級の学びなら「スタートの時間が大切。みんなの時間を使うんだから」ということを実感させたいとか。「自分のことでなく、相手のこと(気持ちや心)を感じることが成果につながる」ということを定着させたいとかです。

実態、行事の特性によって違いますが、ここをイメージすれば、あとは仕掛けを考えるのみです。

ここまでで半分です。Think of the end before you begin.←誰の言葉だったか忘れましたが…。

振り返りは「行事の」ではなく「取組の」。

経験の浅い担任は「体育祭を振り返ろう」としてしまいます。「反省しよう」よりはいいが、これではダメです。「体育祭の取組を振り返ろう」にしましょう。

体育祭の競技や勝ち負けに焦点を当てるのではなく、そこまでの過程に焦点を当てるイメージを言語化するのです。

取組は、企画が持ち上がった日から、学級が活動を始め、練習し、本番を終えて、みんなが語り合った後までです。そうしないと、本番だけを振り返ってしまうから。

取組に焦点をあてて振り返るように促す。

本番中にもエピソードがあります。しかし、取組中にこそ、心と心が通い合い、ぶつかり合ったエピソードがたくさんあるものです。それは各々がもっています。それを言葉にする作業が振り返りのひとつです。

そのために担任は、取組中にエピソードを生徒とともに捉えていく必要があります。「今日のあの場面、どんな気持ちだったの?」「なんで、今日うまくいかなかったんだろう?」「今日、素晴らしいと思ったんだけど、何かきっかけになることがあったの?」と話しかけてみましょう。生徒は語ってくれるはずです。

あとは、仕掛けるのみ。

あとは、イメージしたゴールを考えながら、取組の流れに逆らわずに仕掛けていきます。

行事は、係分担をして、学級の中で立場がたくさんある状態。だから、自分の立場から、○○さんの立場とのつながりを考えるよう促すのは常套手段です。共同作業があるから、自分の気持ちと仲間の気持ちを比較することを促すのも有効です。

仕掛け(手段)は何百通りもあります。そして空振りもあります。仕掛けたからと言って、うまくいくことだけではありません。取組の流れをよく観察し、ゴールをイメージして生徒に仕掛けていくのです。

そうすれば、エピソードが生まれたり、エピソードを言語化できたりします。それがイメージしたゴールにつながっていきます。

(種を撒かなければ、収穫はないのである)

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