
資料を使った道徳の授業って、どうやってやるの?



生徒が『自分ごと』として考えたり、
生徒たちが『議論する』ことが求められているみたいだけど。
こんな疑問を解決します。
- 『自分ごと』や『議論する』という言葉の独り歩き
- 資料道徳の基本となる形、中心になる発問の方法を知る
- 資料道徳のよさを最大限に活かす授業づくり、授業の組み立て
- 最後に道徳的な判断力、心情、実践意欲と態度を育んだ証をつくる
道徳の授業は、教科の授業と違って、教員が求めて学ばなければ素人が司会をしているだけの授業のようになってしまう。
僕も教師になりたての頃は、資料を読んで、指導書を読んで、「こんな感じかな」とか、「隣の先生のワークシートと同じように」などと、テキトーに授業をしていました。
そんな時、「道徳って、生徒が何を学ぶか知ってる?」「資料道徳は型があるんだよ。」「モラルジレンマを扱ったり、ワークシートを利用したりする道徳はベテランでも難しいんだよ。」などと教えてくださる先生に出会いました。
この記事では、資料道徳の基礎となる考え方や型と呼ばれるものを紹介します。
道徳の授業において悩んでいる先生や、道徳教育の方法について疑問を抱いている先生は、ぜひご一読を。そして、資料道徳の軸になる考え方を習得してください。



「道徳には型がない」と言う先生もいますが、
型を知らなければ、型破りはできませんよね。
では、行きましょう!
『自分ごと』や『議論する』という言葉の独り歩き
よりよく生きるための基盤となる道徳性を養うため,道徳的諸価値についての理解を基に,自己を見つめ,物事を広い視野から多面的・多角的に考え,人間としての生き方についての考えを深める学習を通して,道徳的な判断力,心情,実践意欲と態度を育てる。
中学校学習指導要領(平成 29 年告示)特別の教科 道徳編
これは、道徳の目標です。
「自己を見つめ」の言葉や、文部科学省がいう「考え、議論する道徳」という言葉に囚われえるあまり、次のような考え方になっている先生方が多く見られます。
- 自分の考えを述べる機会を多くすればいいんでしょ。
- 議論が活発になればいいんでしょ。
- 『議論する道徳』は『読む道徳』との対比で用いられている言葉でしょ。
その結果、次のような授業をつくってしまっています。
- ⇒「あなたならどう思いますか?」「あなたならどうしますか?」という発問をする。
- ⇒モラルジレンマの資料や立場を明らかにして話し合う方式(ディベートに似ている)が最適じゃん。
- ⇒「なるべく早く資料から離れよう」を鵜呑みにする。
これは、言葉の独り歩きなのです。資料のよさ、道徳のよさ、さらには道徳の目標に向かうことをなくしているのです。



言葉が独り歩きした授業を参観して、道徳の目標に十分向かっていると感じたことは、今まで1回もありません。
資料道徳の基本となる形、中心になる発問の方法を知る
資料道徳の基本の形
多くの物語は、大きく3つの場面でできています。
- 主人公の状況がわかる物語の導入場面
- 主人公が困っている、苦しんでいる場面
- 主人公が乗り越えた後の場面
そして、どの場面においても、生徒の共感が必要です。
- 導入時の主人公の状況が、物語の振り(伏線)になっています。ここを十分共感できていると、後にくる『切り返しの発問』が生きてきたりします。
- 中盤の「どれだけ困っているか」「どれだけ苦しいか」「立ち向かう難しさは何か」など、深く共感するから・・・
- 乗り越えた凄さ、素晴らしさとのギャップに価値が生まれるわけです。
物語は、主人公の何かを乗り越えた経験談が多い。その構成を知り、主人公の気持ちを考えることで、主人公の気持ちに深く共感できるようにしましょう。
中心になる発問、切り返しの発問例
ずばり中心になる発問、もしくは課題は、
資料を読む。そして、この資料の中の「主人公の気持ちを考える」ことをします。
具体的には、
- どんな気持ちから、主人公は○○したのだと考えますか?
- ○○した時の主人公は、どんな気持ちだったと思いますか?
- 主人公が「すがすがしさを覚えた」のは、なぜだと思いますか?
必ず、生徒が「どうしてそう思うのか?」根拠まで伝え合うように促しましょう。「~だから、主人公はうれしかったんじゃないかと思います」のように。
おまけ。
自分の生き方に触れ、道徳的な判断力,心情,実践意欲と態度を養う
最後の発問で、学んできた資料中の主人公の心情と、生徒の生き方をオーバーラップさせる。
これまでに生徒たちは、主人公の体験談から、主人公の気持ちを深く考え、共感してきました。
そこで、最後の発問をして、A5横書き程度のプリントを配布します。
生徒はここで初めて、学んだことを自分の生き方と照らし合わせて、道徳的な意欲や態度を表出することになります。
資料道徳のよさを最大限に活かす授業づくり、授業の組み立て
資料道徳のよさを損なわない
資料道徳のよさは、主人公を含めた登場人物の気持ちを想像して、語ることで、安心して生徒が本音を語ることができる点にあります。
「・・・した時の主人公は、どんな気持ちだったのでしょう」という発問であれば、次のような意見が期待できます。
- 「きっと悔しかったんじゃないかな。友達が喜んでいても、自分の活躍がなかったんだし」
- 「嬉しかったんじゃない?いつも練習を一緒にやってた友達なんだからさ」
- 「微妙だよ。全然関係ない人が活躍してもいいけど、近ければ近いほど敵対するものじゃないの」
しかし、「あなただったら、どういう気持ちになりますか」という発問であれば、生徒、このような意見を出してきます。
- 「僕なら、嬉しいかな。友達なんだからさ」
- 「私も応援します。」
- 「僕は素直に喜んで、お祝いすると思います」
途端に壁をつくり、格好をつけ、良いこと(自分が見られたいこと)を話し出してしまうのです。友達の意見を聞いた方も「ふーん」で終わりです。議論になるはずもありません。
(自分ではない)主人公の気持ちを語るのだから、「この主人公は、こんな気持ちだったんじゃないか」と仲間に話しても、自分の気持ちではないので自由に語れるわけです。
こちらの方が、生徒の本音に近く、主人公の気持ちの根拠を語るときに、生徒自身の経験や考え方が表出されるのです。
主人公の気持ちを考える活動は、生徒の本音を表出させることができます。それが資料道徳の最大のよさなのです。
モラルジレンマ的な発問は、選択問題と同じ
「あなたならどう考えますか?」や「主人公はどうするべきでしたか?」など、モラルジレンマのような発問を聞いたことがあります。
そうすると、先生は黒板を2分割や3分割、4分割にして、マグネットのネームカードを貼り付ける指示を出したりします。
そして、「そう考える理由は何ですか?」とお決まりの質問をします。
それでは、〇択になってしまいます。
プリンを取りに行く。(プリンを食べたい、でもダイエット中だし、甘いものは体に悪いし、今なら親にばれずに食べられるけど、ポテチよりいいか・・・)と、たくさんの気持ちがあってのものなのです。
人の言動の元にある気持ちは、1つではない。だからモラルジレンマのような択一式の発問は避けた方が無難です。
授業の組み立てをまとめると、
資料道徳の授業は、道徳教育の目標や物語の構成、資料道徳のよさ等の面から考えると、「主人公の気持ちを想像し、考え、議論する」ことを軸としたアプローチが効果的です。
そして、せっかく資料を使うのであれば、主人公の気持ちをじっくり、生徒たちが議論してから、最後に”自分ごと”として、道徳的な意欲や態度につなげましょう。
最後に道徳的な判断力、心情、実践意欲と態度を育んだ証をつくる
国立教育政策研究所が発行している「指導と評価の一体化」では、授業の振り返りの文章があることを前提に解説している。
例えば、「振り返りの文章に、○○という記述があるから、この観点をcではなくbとした」など。自己調整できたことを文章に表出されているから、生徒の評価が可能であるということだろう。
また、研究授業をイメージすれば分かる通り、授業の良し悪しは、生徒が目標に到達したかどうか、目標にどれだけ向かえていたかどうかである。
ですから、最後に目標に到達できていたかどうか、文章にしていくことが大切であることが分かると思います。



研究授業で、途中の生徒の発言や態度だけを観察して、「この生徒はよく考えていた」などと評価してはいけません。
授業は、目標に到達させたかどうかが、第一に評価すべきものなのです。
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