「言ったんですけどね」をやめましょう:生徒の失敗は担任の責任と捉える

ミスタ

生徒が何か失敗すると
「・・・って言ったんですけどね」とか、
「いつも・・・って言ってるんですけどね」と言う先生がいますよね。

確かにいますが、よくないことなの?

ミスタ

なんて無責任な先生なんだろうと思うのです。
その理由を順を追って説明しますね。

この記事を読んで分かること
  • 「言ったんですけどね」の元にある先生の考え方がわかる。
  • 先生の役割を再考できる
  • 生徒が理解を深める手段がわかる
目次

「言ったんですけどね」状態を改善しましょう。

言えばいいのか?

生徒が問題行動を起こしたとします。生徒指導の会議で、担任の先生は「言ったんですけどね」と言います。

この言動の元にある先生の思いはどういうものか、考えたことがありますか?

私は、その生徒に「やってはいけない」と言いましたよ。それも常日頃から。それでも問題行動をしてしまう生徒なんです。私が何もしていないと思わないで下さい。やるべきことはやっていますよ。

そう思っていることは、容易に想像できます。

要するに、その先生の『保身』なのです。

「問題行動は、自分の指導が悪いわけではない。言ったのに問題行動を起こした生徒自身が悪い」と言いたいのです。

ミスタ

この先生は、言えばいいと思っているのでしょうか?

何だか、生徒だけの問題になっちゃってますね。
可哀そう…。

言えばいいわけではない。

想像してみて下さい。

帰りの会で、先生が注意喚起します。先生は、やってはいけないことを説明しました。

しかし、先生の話なんてろくに聞いていないようです。

先生は、話しました。生徒の耳に入りますが、脳には入っていません。物理的な音波の流れだけです。

これで「言った」ことにならないのは分かります。

言えばいいわけではない。もう一例

想像してみて下さい。

帰りの会で、先生が注意喚起します。先生は、やってはいけないことを説明しました。

生徒は頷いています。先生の話は理解されたようです。

先生は、話しました。生徒は理解しました。しかし、ある生徒が問題行動を起こしました。

生徒が頭では理解しているのに、問題行動を起こしてしまった。
何でだろう?

ミスタ

いい方向の発想です。
理由は分かりませんが、問題行動を起こした。
先生の「言う」という手段は有効ではなかったということですね。

誰の責任か?

問題行動を起こしたのは生徒なので、生徒に責任はあります。

しかし、自分の生徒が失敗したのだから、先生として問題行動を未然に防ぐ手段が取れなかったということです。

先生が、その責任を感じて、一緒に前に進むための次の一手を考えることが大切な場面と捉えるべきです。

これは、事の大小に限りません。やることを忘れた生徒がいた。階段をダッシュで降りてケガをした。問題行動を起こした生徒がいた。その担任の先生は「言ったんですけどね」ではなく、こんなことにならないように、どんな手段を取っていたら防げたのかを考えるべきです。

改善策 まずは・・・

授業において、残り5分程度を使って「今日学んだことを隣の人に説明しよう」とアウトプットを確保すると成績が上がることは周知の事実です。

余談:研修会で、終盤で発表することになっていたら、話をよく聞こうとします。それと同じ理屈です。アウトプットがあると、インプットしようとするし、実際にインプットする情報量が多くなるようです。

それを応用します。生徒へ話した後で「どう思う?」「周りと話してごらん」「○○さん、どう思った?それはなぜ?」と聞いていきます。

そのスタイルで話していれば、生徒は先生の話を聞く必然性が出ます。聞かなければ答えられないからです。さらに生徒の理解度も測れ、理解されていなければ、加えて話すことができます。翌日に仕切り直しもできます。

「言う」ことが目的ではありません。問題行動を防止するために、生徒がよくないことであると深く理解することが第一歩です。

改善策 次に・・・

担任がから生徒に理解してほしいことがあるとします。そうすると、目的は「生徒がそのことを理解する」ことになります。

ですから、生徒が「私は、そのことについてこう理解しています」と言えれば、担任が話すよりも確実です。

担任は、それを目指して仕掛けます。「そのことをどう思ってるの?」「こんな視点から考えるとどう?」「違う立場から考えると○○だよね」とか。

生徒が理解している話をしていたら「なるほどね」「さすがだね」「僕もその通りだと思うよ」って言ってあげましょう。手柄は生徒に渡すのです。

改善策 最後は・・・

強烈に生徒に刷り込みたいのであれば、生徒たちが自分で導き出したことを学級通信や掲示に文字として残していきます。

先生が偉そうに上から話した言葉ではなく、生徒が自分たちで考えたことにすれば、より重みが増していきます。

まとめ

担任が生徒に話をします。全体に向けて、個人に向けて。

いろいろなシチュエーション、事の大小、あるでしょう。ただ、話をすることが目的になってはいけません。

話をする目的は何か?

何かを生徒が理解する、何かを生徒が実感する、生徒が自身の行動を振り返る、生徒が別の手段を取る…。全て主語は「生徒が」です。

「担任が」話をするのは手段です。「生徒が」何かをするために「担任が」話をすることを忘れてはいけません。

さらに、

「担任が」話をすることや、「生徒が」聞くことや理解することは、1つの手段なので、「生徒が」失敗したときは、「担任が」手段を間違えたと捉えることです。

理解しました。
そう考える先生は「言ったんですけどね」とは、発言しませんよね。

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

シェア頂けると嬉しいです!よろしくお願いします!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次