子どもたちが、教師の思ったように動かなかった。
忘れ物が続いた。決めたことを守れなかった。行事がうまく進まなかった。問題となる行動が起きた。
そんなとき、教師から次のような言葉を聞くことがあります。
「言ったんですけどね」
「○○と、言わせてもらいました」
この二つの言葉を聞くと、がっかり。
教師が何を言ったのかは分かります。
しかし、それで子どもはどうなったのでしょうか。
「言ったんですけどね」が悪いわけではない
「言ったんですけどね」という言葉自体が、いつも悪いわけではありません。
「言ったんですけどね。それだけでは伝わりませんでした。私の働きかけが不十分でした」
と続くのであれば、問題はありません。
教師が自分の働きかけと子どもの姿を結び付け、次の手段を考えようとしているからです。
しかし、多くの場合は、少し違います。
「私はきちんと言った。それなのに、なぜあの子はできなかったのだろう」
教師はやるべきことをした。できなかった原因は子どもにある。
「言ったんですけどね」という言葉が、教師の責任と子どもの結果を切り離すために使われています。
「言わせてもらいました」で、何が変わったのか
「○○とは、言わせてもらいました」という言葉も同じです。
おそらく、言いにくいことではあったけれど、必要だと判断して毅然と伝えた、という意味なのでしょう。
教師として、言うべきことを言う必要がある場面はあります。
それでも、「言わせてもらいました」と聞くと、私は考えてしまいます。
その言葉を、相手はどう受け取ったのでしょうか。
状況は前に進んだのでしょうか。
その場面で、言うことが最も適切な手段だったのでしょうか。
「言わせてもらいました」は、教師が勇気をもって役割を果たしたという報告にはなります。
しかし、教師が役割を果たしたことと、相手に必要な変化が生まれたことは同じではありません。
「教師が何をしたか」は、成果ではない
教師は、さまざまな仕事をしています。
注意する。説明する。励ます。話し合わせる。掲示する。学級通信に書く。保護者へ連絡する。
どれも必要な手段です。
しかし、教師がそれらを実行したこと自体を、仕事の成果にしてはいけません。
教師が説明しても、子どもが理解していなければ、目的は達成されていません。
子どもが理解しても、実際の場面で行動できなければ、やはり目的には届いていません。
教師が何を言い、何をしたかは、成果ではありません。
自分の働きかけを振り返るための材料です。

教師の仕事は、子どもの姿から始まる
教師の仕事は、教師が何かを言うことから始まるのではありません。
最初にあるのは、目の前の子どもの姿です。
子どもたちは今、何を考えているのか。
何ができていて、何に困っているのか。
どのような姿になってほしいのか。
その現在地と目指す姿の間に、教師の働きかけが必要なのかを考えます。
働きかけることもあります。
問い掛けることも、説明することも、環境を整えることもあります。
一方で、子どもたちだけで進められるなら、待つことや任せることもあります。
あえて何もしないことも、教師が目的をもって選んだ手段です。
何かをすることが、教師の仕事なのではありません。
目の前の子どもの姿を捉え、必要な手段を判断することが、教師の仕事です。

子どもの言動に責任をもつ
子どもの行動のすべてを、教師の責任にするという意味ではありません。
子どもは、自分が選んだ言動について考え、必要な責任を引き受けなければなりません。
しかし、教師も、自分の働きかけと子どもの言動を切り離してはいけません。
子どもがうまくできなかったとき、
「あの子が聞いていなかった」
「何度言ってもできない」
と、子どもの問題だけにしてしまえば、教師の思考は止まります。
自分の働きかけだけでは足りなかったと捉えれば、次の判断が始まります。
理解できていなかったのかもしれない。
理解していても、行動することが難しかったのかもしれない。
周囲との関係や、その場の雰囲気が影響していたのかもしれない。
そもそも、教師が介入しすぎていたのかもしれない。
教師が責任をもつとは、何でも自分のせいにすることではありません。
子どものせいにして思考を止めず、目的に向かって働きかけを考え続けることです。
教師にしかできない仕事
教師の仕事は、「やるべきこと」のリストを順番にこなすことではありません。
目の前の子どもの表情や言葉から、心の動きを読み取る。
学級の雰囲気や人間関係を捉える。
今は働きかけるべきか、待つべきかを判断する。
働きかけが届いていなければ、方法や時期、距離の取り方を変える。
あらかじめ用意された手段の中から選ぶだけでなく、その子、その学級、その場面に合わせて働きかけをつくっていく。
それが、教師にしかできない仕事です。
教師の発信で終わらせない
「言ったんですけどね」
「言わせてもらいました」
問題なのは、この言葉そのものではありません。
その言葉によって、教師の仕事を終わらせてしまうことです。
教師の仕事は、教師の発信で終了するのではありません。
子どもの姿から始まり、必要な働きかけを選び、子どもの言動を見届ける。
期待した変化が生まれなければ、また子どもの姿から考え直す。
そして、子どもの言動に変化が表れたところで、初めて一つの区切りを迎えます。
教師が問うべきなのは、
「自分は何を言ったか」
ではありません。
「自分の働きかけによって、子どもにどのような姿が表れたか」
なのです。
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