『過程』ではなく、『成果』を求めた働き方

教員として働いていると、先生方の働き方に疑問を感じることがあります。その一つが『過程』を大切にした働き方です。

「過程があるから、成果が出るんじゃないの⁉」 その通りです。

でも、その考え方が落とし穴になっているんです。

今、ここで『過程』から『成果』に重点を置いた働き方に考えを変えていきましょう。

努力するのは当たり前のこと。成果を出すことが求められています。

目次

『過程』を大切にした頑張っている先生方

期限を守れなかった生徒と保護者に対して…

進路指導主事の先生が愚痴をこぼしていた。

「期限が過ぎているのに、高校オープンスクールの参加申込書を持ってきて、今からでも参加したいって言ってくんだ。しかも親が行ってみたらって勧めたからだって。一応高校には連絡してみるけどさ、ちゃんとしてほしいよな。」

さらに「保護者も保護者だよ。さっき電話があって、何とかなりませんかだって」

生徒会役員選挙であり得ない提案をしてしまう生徒とその担任に対して…

「朝の会と帰りの会をなくし、その分の時間を生徒会タイムとして、縦割り活動を行おうと思います。これが私の公約です。」と、選挙で演説した生徒がいた。

当然、そこは先生たちの領域であって、生徒会が決めていくことではない。特活主任の先生に「この演説はよくないよ。不可能な公約を掲げていることになるよ」と指摘したのだが…。

「指導はしたんです。演説原稿を見せてもらって、赤で直したり、疑問個所に付箋を貼ったりして担任に返しました。でも、何も直ってなくて、そのまま演説しちゃったんです。」

保護者からの苦情電話が入って…

学級委員を選挙で決定した後、落ちた生徒の保護者から電話が入る。「決め方について疑問があるのですが。」「落ちた後、フォローも何もないのですが。」

保護者に対応した後、「選挙で決めたんだから、仕方ないじゃん。」「フォローはしてあげれば良かったかな。」とつぶやいていた。

『成果』には触れない先生方

上に挙げた例の共通点は、すでにお分かりの通り。自分のやってきた『過程』にだけ焦点をあてています。

期限を守って申し込む生徒、生徒会の活動領域を把握して、その範囲で公約を語る生徒、学級委員の決め方を納得し、落選しても潔く前に進む生徒、これらの『成果』を生み出せなかったことには全く触れていません。

それどころか、『成果』を生み出せなかった責任を生徒や保護者のせいにしているのが分かると思います。

実力ある先生たちは、『成果』から『過程』を考えている

期限を守れない生徒が出てしまったのはなぜだろう?期限まで十分な情報提供を行っていなかっただろうか?期限前に、その生徒にこの高校のオープンスクールはいいのかと言ってあげればよかったのか?保護者と話し合うようにもっと促すべきだったのだろうか?

役員選挙では、なぜ担任が指導してくれなかったのか?加除修正したり、付箋を貼ってアドバイスをしたりしただけでは足りなかったのか?修正後、もう一度自分で確認をすべきだっただろうか?リハーサルをすればよかったのだろうか?

学級委員の決め方は、学級全体で把握し納得したものにすべきであった。当選した時のこと、落選した時のことをイメージさせておくべきだった。

このように、『成果』が出なかったことの原因を探る先生は、改善を繰り返す習慣があるということです。よって、同じようなケースでは『成果』を収める可能性が高くなるということです。

実力ある先生は、何百通りある手段の中から選ぶ。

大切なのは『過程』ではなく『成果』です。

当然、その『過程』は、決められた範囲内でなければならないので、体罰や暴言、買収なんてものもいけません。

しかし、その範囲内であれば『成果』を出せばいいわけです。 実力ある先生は、そのことを知っています。『成果』のために、何百通りもある手段の中から、選んでいるんです。

余談です。

会社員を経験した僕にとって、教員の甘さをよく感じます。

お店を経営している人は、モノが売れなければ、どんな努力をしてもお金はもらえません。

しかし教員は、生徒を成長させてもさせなくても、お金をもらえます。

だからと言って、それに甘えていてはいけません。僕たち教員は、労働時間や努力とかに対して責任を負うのではなく、生徒の成長に対して責任を負っているのです。

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