生徒が、自分の発する言葉は自分の責任だ、と思えるように。

「明日の宿題は、〇ページの問題になります。式も書くって言っていました。」と教科係の発言があったとしましょう。担任のあなたは、どうしますか?

授業中に騒がしくなってきました。先生が静かにするように注意します。するとそれに気づいた生徒が騒がしくなっている生徒たちに向かって「静かにしろだって!」どうしますか?

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「なります」違和感

インターネットで検索すると、同じような違和感をもった人がいることが分かります。ちょっと安心します。自分だけではなかったと。

「なる」という言葉には、変化の結果という意味があるからだろうとのこと。

でも僕の違和感は変化ではありません。自分の言葉なのに、自分の決めたことなのに、他人事のように感じるからです。

先生たちの書く生徒へのお知らせ文書にも

「週末の練習試合は〇時からになります。ユニホームは濃色になります。」と。

自分で決めたくせに・・・、と思います。

「週末の練習試合は〇時からです。ユニホームは濃色です。」と比べてください。

このように、言葉は立場や責任の所在を相手に伝えることになります。

自分の責任で言葉をつなぐ生徒を育てる

「○○って言ってた」「○○だって」の後に続く言葉を考えてみて下さい。

「○○って言ってた。僕はやらないけどね。」

「○○だって、僕はそんなのいいと思うよ。」

そんな言葉がイメージできます。そしてポジティブな言葉は続きません。

「○○だって、僕もそう思うよ。そうしよう。」などとはなりません。

自分の言葉は自分の責任と指導するために。

先生が生徒に伝えてほしいことを言います。その時に、納得できなければ食い下がれと教えればいいのです。

次のようなチャンスを待ちましょう。

担任が言った言葉を伝える場面ではなく、自分以外の先生の言葉を伝えている場面です。

「(○○先生が、)もっと真剣にやれだって」

あなたは○○先生の言葉に納得して、その通りだと思って、言っているなら、言い方を教えてあげましょう。「もっと真剣にやろう」って言えばいいんだよ、と。

自分たちは真剣にやっている自信があって、理不尽なことを言っていると思ったら、その先生に食い下がればいいのです。「僕たち真剣です。どんなところが真剣じゃないと思うんですか」と。

納得できなければ伝える必要はありません。しかし、何もしないのでは先生の言葉を無視していることになります。言われた以上、食い下がるか、納得して自分の言葉として伝えればいいのです。

僕たち教員も

できるだけ曖昧な言葉を使わず、シンプルでストレートな表現で発言したり、文書を起こしたりしましょう。そして言葉の違和感を感じるようになれば、生徒たちの言葉を直していくことができます。

・・・これを読んで、僕の考えを理解してくれたら幸いです・・・

??幸い??理解しなくてもいいんですね??

僕は「これを読んで、僕の考えを理解してほしい」と言います。

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