『させる』アレルギーになりましょう:生徒主体の教育への変革

ミスタ

「生徒に○○させる」という言い回しを使ってしまいがちです。
しかし、その言い方要注意です‼ 今すぐやめましょう。

私も使ちゃうけど、何が悪いの?

ミスタ

それは、生徒を主体に考えていないからです。
それが語尾に出てしまっているんですね。

先生は、生徒に何かをさせるのは当たり前じゃないかなぁ

この記事を読んで分かること
  • 『させる』と使ってしまう先生の考え方が分かる
  • 『させる』指導の害がわかる
  • 生徒主体の考え方をするときの言い回しがわかる

「生徒に勉強させる」「○○さんに発言させる」「学級委員に指示させる」と『させる』という言い回しを学校現場ではよく耳にします。

しかし、その言い回しをしている先生方は、教師の職業を勘違いしていると言っても過言ではありません。

僕もときどき出てしまうのですが、すぐに、恥ずかしさとともに言い直します。

一種のアレルギーですね。

目次

『させる』の言葉の裏に見える考え方

『させる』会議

学年集会があるとします。司会は学級委員です。

集会に向けた先生方の会議が始まります。

「司会がしっかりしないとね」などと言っていると「司会は担任の僕がしっかりさせます」

「じゃあ、私がきちっとみんなを並ばせますね」

「ここで意見を出させよう」「そうそう、たくさんの子に手を挙げさせてね」

ここで問題です。この後、先生方は司会の生徒やその他の生徒にどんなことをすると思いますか?

ストレートに「○○しなさい」と言うのかな。

ミスタ

そうです。
直接的で、指示的で、時には高圧的な指導になりそうですよね。

確かに。
司会の生徒とか、可哀そうかも。

『させる』指導案

学習指導案に、こんな言い回しは避けたい。

「意見を出させる」「ノートに書かせる」「話し合わせる」

意見を出させるために、授業者は何をするでしょう?

「意見を出そう」…「もっと手が挙がるはずだよ」…
「これじゃあ、授業にならないよ。もっと挙手発言しないと」…
「成績に影響するよ」とかかなぁ

ミスタ

そうです。
そんな指導のような、脅しのような言葉が多くなりそうですよね

『させる』生徒指導

「あの生徒に謝罪させよう」「話合わせよう」「反省させなきゃ」

謝罪させるために、先生はどんなことをするでしょう?

謝るように、指導するとか、
謝るように、説得するとかかなぁ

ミスタ

そうです。
そろそろ見えてきたんじゃないですか?

ミスタ

生徒は納得できていないのに、謝罪している姿が思い浮かぶでしょう。

『させる』指導の問題点

最後の質問です。『させる』指導は誰が主体の表現なのでしょう?

分かった。
『先生』が主体になっているから問題なんだ。

ミスタ

そうです。
学校において、ほとんどの場合、主体は生徒です。
『生徒』に軸を置くべきなんです。

『させる』から『○○するために・・・する』に。

ミスタ

では、どんな言い回しになるか、聞きたいですよね。
簡単です。『生徒』を主体に考えればいいのです。

  • 先生が、生徒にしっかり司会をさせる。
  • 先生が、生徒に意見を出させる。
  • 先生が、生徒に反省させる。
ミスタ

この言い回しをこんな感じに変えましょう。

  • 生徒がしっかり司会をするために、先生が・・・する。
  • 生徒が意見を出せるように、先生が・・・する。
  • 生徒が反省するように、先生が・・・する。

でも、・・・の所は、どんなことが入るの?

この・・・の手段は、何百通りもあり、どの手段を取るかは、生徒の実態や、状況、先生のキャラや、熟練度によります。

例えば、僕がすぐにイメージすると、

  • 生徒がしっかり司会をするために、先生が、前日にリハーサルをしようと誘う。
  • 生徒が意見を出せるように、先生が板書で友達の考えとのズレを顕在化する。
  • 生徒が反省するように、先生が相手の立場になって考えることを促す。

先生が生徒の行動を導いたり、支援したりするんですね。

生徒にとっては、「させられた」ことと、「する」ことは全く違うのです。生徒自身が思考し、判断し、表現する、そのために何をするかを先生は常に考え、アプローチするのです。

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