「学級目標に向かって頑張ろう」
「学級目標に立ち返って考えよう」
学校では、こうした言葉がよく使われます。
しかし、その学級目標は、本当に子どもたちが立ち返ることのできるものになっているでしょうか。
合言葉、四字熟語、語呂合わせ、英語、学級を象徴する言葉。
格好よく見える学級目標はたくさんあります。
けれども、学級目標は、教室に飾るための言葉ではありません。
ここでいう「学級目標を掲げる」とは、目標をつくって掲示することだけではありません。
目標をつくり、共有し、それに向かって活動し、自分たちの姿を振り返り、成長や達成を確かめていく一年間の営みです。
では、学級目標は、何のために掲げるのでしょうか。
学級目標を掲げることは、手段である
同じ教室で一年間生活していても、共通して目指すものがなければ、ただ同じ場所で過ごすだけになりかねません。
しかし、社会に出れば、チームや集団の一員として、共通の目的に向かって活動する場面があります。
自分の考えを伝える。
相手の考えを聞く。
互いの意見の共通点を見つける。
違いがあれば折り合いをつける。
周囲に気を配りながら、自分の役割を果たす。
こうした力は、同じ場所で一緒に過ごしているだけでは身に付きません。
学級という集団で一つの目標に向かって活動する中で、子どもたちが集団の一員として必要な力を身に付けられるように、教師が働きかけていく必要があります。
学級目標は、そのための手段の一つなのです。

育てたい力を描けないなら、なくてもよい
学級目標は、必ず掲げなければならないものではありません。
年度の初めに目標を決め、模造紙に書き、教室に掲示する。
それだけなら、学級目標はなくてもよいと思います。
目標をつくる過程で、子どもたちがどのような力を身に付けられるように働きかけるのか。
目標を確認する中で、どのようなことを考えられるようにするのか。
目標に照らして自分たちの活動を俯瞰する中で、何に気付けるようにするのか。
成長や達成を確かめる中で、どのような充実感を味わえるようにするのか。
教師がそこまで描けて、初めて学級目標を掲げる意味が生まれます。
学級目標があること自体に価値があるのではありません。
学級目標を使って、子どもたちがどのように育っていくのかが大切なのです。

目標をつくることも学習である
学級目標をつくるとき、一人一人には、
「自分は、どのような学級にしたいのか」
という思いがあります。
その思いを十分に聞かず、一部の子どもや教師が考えた目標を掲げれば、
「自分には関係ない」
「僕は、そんな学級にしたいとは言っていない」
という子どもが出てきても不思議ではありません。
それでは、みんなの学級目標とは言えません。
一人一人が、自分の思いを伝える。
互いの考えを聞く。
その中から共通する願いを見つける。
意見の違いを調整し、集団として納得できる方向を決める。
教師は、子どもたちがこのような合意形成を経験できるように働きかけます。
学級目標をつくること自体が、コミュニケーションや合意形成を学ぶ活動なのです。
立ち返り、成長を確かめられる目標か
学級目標は、つくって終わりではありません。
「今日の自分たちは、目標に近づいていただろうか」
「どのような姿が表れていただろうか」
「これから、何を大切にしていくだろうか」
子どもたちが目標に照らして自分たちの姿を振り返り、成長を確かめられるように、教師が働きかけていきます。
そのためには、目標から具体的な姿を思い描けることが必要です。
「今日の自分たちは、たんぽぽだっただろうか」
「百花繚乱に近づいただろうか」
と問われても、何を基準に振り返ればよいのか分かりません。
抽象的な言葉や象徴的な言葉には、さまざまな意味を込められます。
しかし、さまざまな意味を込められるからこそ、自分たちの姿を振り返る基準としては使いにくいのです。
学級目標のつくり方は、無数にあります。
しかし、どのような目標でもよいわけではありません。
子どもたちが思いを伝え合い、共通項を見つけ、合意を形成できること。
目標に照らして自分たちの姿を振り返れること。
成長を確かめ、達成する充実感を味わえること。
そこから逆算すれば、格好のよい言葉を探す活動にはなりません。
具体的な姿が見えない合言葉や四字熟語、象徴的な言葉も、一年間を通して使う学級目標としては選べません。
学級目標の価値は、どのような言葉を掲げたかではなく、掲げる一年間を通して、子どもたちがどのような力を身に付けたかで決まるのです。
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