
先輩に相談したら、
「もっと生徒を見なきゃ…」とか
「生徒に寄り添わなきゃ…」とアドバイスを受けました。



そうは言っても、
何を見ればいいんだろう?
何に寄り添うんだろう?



そうだよね。
物理的に見ることとは違うよね。
物理的に寄り添ったら、セクハラになっちゃうね。
- 「生徒を見る」「生徒に寄り添う」ことの具体が分かる。
- 生徒指導の軸になる考え方が分かる。
目標設定から心の動きまで、先生の寄り添うアプローチ



今回は結論から言いますね。
「生徒を見る」ことは「生徒が目標に向かって活動する姿を見る」のです。「生徒に寄り添う」とは、「生徒が活動する過程における、生徒の心の動きに寄り添う」のです。
生徒と『生徒の目標』をかみ砕いていく。
例えば、前期の初めに「後期は学級委員になって、活躍したい」と言っている生徒がいるとしましょう。
そうしたら、もっと生徒と話をして、一緒にかみ砕いていきます。「後期学級委員選挙でどんな自分になっていたら、みんなは投票してくれると思うの?」と。
きっと「みんなが困らないように学級の活動を支えられる自分」「みんなが成長できるように、ダメな行動はしっかり指摘して、いい行動に導ける自分」などと言ってくれるでしょう。
言えなかったら、誘い水を出しながら、上記のようなところまで共有しましょう。目標は、このくらいまでがいいと思います。
(このくらい、という程度や適度に関しては、やっていれば磨かれていくものです。自分に合ったものになるから、ここは心配する必要はありません。聞き流してください。)
目標への道のりを共有する。
「そんな自分になるために、何を考え、何をしていくの?」と聞こう。
「教室環境をよくする」「授業への切り替え、給食への切り替えなどで、みんなのために動く」ねど、答えは多種多様になります。
そこで「それって、毎日どんな行動をすることなの?」「それをすれば学級委員当選に近づくの?」と、突っ込んで聞きます。
こんな会話をして、次のように生徒と道のりを共有します。
生徒が目標に向かって頑張っている姿を見る。
やっと見るべきものが分るようになりました。
- 机の整頓を、毎日やっているか? どのようにやっているか?
- 給食の配膳の時に、みんなに働きかけているか? みんなのために動いているか?



ここです。
「生徒を見る」ということは、ただ見るのではありませんよ。
見たら、直接コメントするもよし。間接的にコメントするもよし。
「今日、机を整頓しているのを見たよ。机だけじゃなく、落ちてるゴミを拾ったりしてたね。」
「今日、彼の行動見た?机の整頓していただけじゃなく、落ちているゴミも拾ってたじゃん。どう思う?」
※余談 (ほめることは、僕はあまり勧めません。言動を見ている、聞いているということを伝える方が大事だと思っているからです。先生に褒められるから頑張る生徒よりも、生徒から信頼が厚くなってほしいと考えています)
心の動きを見れば、先生のやることが分かる
次に、生徒の心の動きを見ようと試みてください。しかし、ただ見ようとしても無理です。心は見えません。聞いてしまった方がよいでしょう。
例えば「毎日やっていてどう?」と聞いてみましょう。
「面倒だ」「これだけでいいのか、と思う」「気持ちいい気分になる」「イライラする」いろいろあります。それでいいのです。取り繕ったものでなく、できるだけ本音に近いものを聞き出したいものです。



ここからです。
「生徒に寄り添う」ポイントです。
マイナスな発言を聞いてしまうと、教員の多くは「そんなこと言わずにがんばれ」などと言いたくなります。
しかし、そのままの気持ちから、次の話を始めるようにしましょう。「なるほどね」とか「そうか、面倒か」「イライラするのか」と、オウム返しも有効です。
そして、「じゃあ、一緒にやってやるよ」や「新しい境地だね、頑張れよ」「どんなことにイライラするの?」と続けます。
大切なことは…「目標に向かって努力している自分を、見てくれているし、困ったらサポートしてくれるし、愚痴も聞いてくれるし、解決策を一緒に考えてくれるし、とにかく応援してくれている」と生徒が感じることです。



なるほど。
先生が寄り添っているって、こういうことなんですね。
まとめ
「生徒を見る」ことは「生徒が目標に向かって活動する姿を見る」のです。「生徒に寄り添う」とは、「生徒が活動する過程における、生徒の心の動きに寄り添う」のです。
これは、生徒指導の軸になる考え方の1つです。
これができるようになると、ワンランク上の生徒指導ができる可能性が出てきます。


コメント