「先生の学級経営を教えてください。」
若い頃、そんなふうに言われたことがある。
毎週のように食事をしながら、自分が大切にしていることや、子どもへの関わり方、学級での動き方を伝えた。
「なるほど。」
その先生は熱心に話を聞き、私と同じように実践してみた。
しかし、思うような成果は出なかった。
別の学校では、厳しい指導で学級をまとめる先生がいた。
規律があり、子どもたちもよく動く。
それを見た先生が、「あの先生のような学級をつくりたい」と、新年度から同じような指導を始めた。
ところが、子どもたちは反発し、学級経営はうまくいかなかった。
どちらの先生も、真面目だった。
努力もしていた。
それでも、うまくいかなかった。
なぜだろう。
それは、実践だけを真似しようとしたからだと思う。
実践の裏には「教育観」がある
私は、一つ一つの実践には理由があると思っている。
なぜ、この言葉を掛けるのか。
なぜ、このタイミングで叱るのか。
なぜ、この活動を仕組むのか。
その一つ一つは、教師自身の教育観や大切にしている軸につながっている。
そして、その教育観を、その先生らしいキャラクターで表現したものが、日々の実践なのだと思う。
だから、実践だけを切り取っても、うまくはいかない。
教育観と実践が一本につながっていなければ、子どもは敏感にそれを感じ取る。
逆に、教師の言葉や行動に一貫性があると、子どもは「先生がそう言うのには理由がある」と受け止める。
事前の働き掛けにも素直に応じるようになるし、叱られたときにも、「先生は感情で怒っているのではない」と納得し、自分の言動を振り返ろうとする。
教師としてのぶれない軸が、子どもの安心や信頼につながるのだと思う。
実践交流で本当に共有したいもの
学校では、実践発表や実践交流がよく行われる。
私は、それ自体はとても大切だと思っている。
ただ、本当に共有したいのは、「何をしたか」だけではない。
その実践を支えている教育観や、教師として大切にしている軸である。
その軸が分かれば、聞き手は「この先生と同じことをしよう」とは考えない。
「その考え方には共感できる。だったら、自分のキャラクターなら、どんな実践ができるだろう。」
そう考え始める。
教育観があり、その人らしさがあり、実践がある。
この三つが一本につながっているからこそ、その実践には意味が生まれる。
だから、学ぶべきは実践そのものではない。
その実践を支える教育観である。
私は、そんな実践交流がもっと増えてほしいと思っている。
実践を共有する前に、その実践を支える教育観や軸を共有する。
そこから始まる研修が、一人一人の教師を育てるのではないだろうか。
