前回の記事では、「なぜ、実践を真似しても、うまくいかないのか」について書きました。
今回は、その続きです。
私は、実践交流会や研究発表会のあり方について、一つ提案があります。
実践交流は、大切な学びの場である
私は、実践交流そのものを否定したいわけではありません。
他校の先生の工夫や実践から学ぶことはたくさんありますし、自分にはなかった視点に出会えることもあります。
だからこそ、実践交流は価値のある研修です。
ただ、実践発表を聞くたびに、少し物足りなさを感じることがあります。
それは、発表の中心が「何をしたか」になっていることです。
本当に共有したいのは、実践の根底にある考え方
実践発表では、
「こんな取組をしました。」
「こんな言葉掛けをしました。」
「こんな工夫をしました。」
という説明に、多くの時間と紙面が使われます。
もちろん、それも必要です。
しかし、私はもっと時間をかけて語るべきものがあると思っています。
それは、その実践の根底にある考え方です。
どんな子どもの姿を目指したのか。
何を大切にして、その実践を組み立てたのか。
なぜ、その手段を選んだのか。
そこが語られることで、聞き手は実践を理解するだけでなく、「なるほど、その考え方だから、この実践になるのか」と納得することができます。
考え方が分かれば、実践は自分で創ることができる
例えば、ある先生が、
「帰りの会では、子どもの行動ではなく、その奥にある心を大切にしています。」
と発表したとします。
もし、「どのように褒めているのか」という方法だけを聞けば、聞き手は同じことをやってみようとするかもしれません。
しかし、その実践の根底にある考え方が分かれば、学びは変わります。
「なるほど。その考え方だから、この関わり方になるのか。」
そう理解できれば、自分の学級では、自分のキャラクターや子どもの実態に合わせて、どんな方法がよいだろうと考え始めます。
真似をするのではなく、自分で実践を創る学びへと変わっていくのです。
実践は、一つだけ切り取って語れるものではない
私は、実践とは単に子どもへの関わり方だけではないと考えています。
目指す子どもの姿があり、
その姿を実現するための考え方があり、
その場面での判断があり、
その結果として、子どもへの働きかけがあります。
そして、その積み重ねが子どもの成長へとつながっていきます。
だからこそ、子どもへの働きかけだけを切り取っても、本当の実践は伝わりません。
実践の根底にある考え方まで共有してこそ、実践交流の価値は高まるのではないでしょうか。
私が願う実践交流
教師には、それぞれの個性があります。
学級の実態も違います。
だから、実践が違うのは当たり前です。
同じ実践をする必要はありません。
共有したいのは、実践の根底にある考え方です。
そこに共感できれば、先生方は自分のキャラクターや子どもの実態に合わせて、自分らしい実践を創り出していくことができます。
私は、実践交流や研究発表会では、実践の紹介だけでなく、実践の根底にある考え方に、もっと時間と紙面、そして労力をかけてほしいと思っています。
実践を共有する研修から、実践の根底にある考え方を共有する研修へ。
私は、そのような研修文化が広がることを願っています。
