一日の最後に行う帰りの会。
授業が終わり、子どもたちの気持ちは、放課後や部活動へ向かい始めています。
そんな中、鞄を背負い、帰る準備を済ませて参加している子はいませんか。
その姿を見て、
「鞄を下ろしなさい」
「前を向きなさい」
と注意したくなることもあるでしょう。
しかし、これは姿勢や規律だけの問題ではありません。
帰りの会は、我慢する力を身に付けるための時間ではないからです。
帰りの会の主人公は誰か
帰りの会を一日15分、年間200日行えば、約3000分になります。
この時間をどう使うかによって、学級の姿には大きな違いが生まれます。
では、帰りの会は何を目的に行うのでしょうか。
一日を振り返る。
明日の予定を確認する。
係から連絡する。
これらは活動であり、目的ではありません。
目指したいのは、学級という集団が自分たちの姿を捉え、よりよい方向へ自己調整していくことです。そして、その活動を通して一人一人が成長することです。
ところが、教師が決めたメニューを、教師が決めた順番で行う帰りの会を多く見ます。
それでは、子どもたちは活動していても、主人公にはなりません。
帰りの会の主人公は、子どもたちです。
正しい目的だけでは、人は動き続けない
学級が自己調整し、子どもたちが成長する。
教師にとっては、意味のある目的です。
しかし、その正しさだけで、子どもたちが毎日前向きに参加し続けることは難しいでしょう。
帰りの会には、テストも成績もありません。学級の成長も数字では見えません。しかも、終われば楽しみにしている放課後が待っています。
心理学の自己決定理論では、人が主体的に活動へ向かうためには、自分で関わっているという自律性、自分にもできるという有能感、人とつながっているという関係性が重要だと考えられています。
帰りの会で言えば、楽しめること、活躍できること、仲間から認められることです。
成長を実感できれば、それに越したことはありません。しかし、そこに至るまでには時間がかかります。
だからこそ、まずは子どもたちが前向きに関われる状態をつくる必要があります。
ここでいう楽しさは、単に笑わせることではありません。
自分の言葉が仲間に届く。
頑張りを見てもらえる。
仲間の意外なよさに気付く。
自分たちで課題を乗り越える。
そうした経験から生まれる楽しさです。
子どもたちが活躍する機会をつくる
私は、帰りの会の司会を学級委員などの一人に任せます。
目指しているのは、多くの子が司会を経験することではありません。
司会者が毎日学級を見続け、話題を拾い、仲間の言葉を受け止め、学級全体へ問い掛ける。その経験を重ねることで、学級を俯瞰して見る子どもが育ちます。
もちろん、丸投げはしません。
教師は事前に関わり、どのような時間にしたいのか、何を話題にするのかを一緒に考えます。
また、固定されたメニューも作りません。
学級の姿は毎日違うからです。
仲間の頑張りを認め合いたい日があります。
うまくいかなかったことを明るく振り返りたい日もあります。
真剣に向き合わなければならない日もあります。
特に話題がなく、短く終わってよい日もあります。
固定するのは活動の順番ではありません。
学級の自己調整と、子どもたちの成長を目指すという目的です。
教師は関わる。しかし、主役にはならない
子どもたちが主人公になる帰りの会でも、教師の働きかけは必要です。
見過ごされている頑張りを話題にする。
「それを見て、どう思った?」
「君は、どう考えるの?」
と問い返し、子どもたちの言葉を深める。
発言に自信のない子とは、休み時間に話しておく。
失敗を責めるのではなく、明るく振り返れる空気をつくる。
教師は、子どもたちが仲間の姿を見る視点を広げ、互いに認め合えるように働きかけます。
ただし、最後に教師がすべてをまとめる必要はありません。
帰りの会の最後には、学級委員が自分たちの学級について語ります。
今日の学級はどうだったのか。
明日はどのような学級を目指すのか。
毎日語り続けることで、その言葉は少しずつ変わります。
学級委員の言葉が、学級の姿を捉え、仲間を明日へ向かわせるものになったなら、教師の話は必要最小限でよいでしょう。
できれば、なくてもよい。
「今日の学級委員の言葉がすべてです。僕の出る幕はありません」
これが理想です。

帰りの会は、子どもたちと育てる
子どもたちが前向きに参加する帰りの会は、四月からすぐに完成するものではありません。
司会者も、仲間を見る視点も、学級について語る言葉も、時間をかけて育ちます。
面白おかしく話し合う日がある。
仲間の頑張りを喜び合う日がある。
自分たちの弱さを明るく受け止める日がある。
そして、ときにはシリアスに課題と向き合う日がある。
そんな時間を積み重ねながら、帰りの会は、その学級にしかない時間になっていきます。
大切なのは、教師が何をするかではありません。
子どもたちが自分たちの学級を見つめ、語り、成長していくことです。
そのために、教師は働きかけるのです。
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