子どもたちに、教師の話を聞かせようとしていませんか。
教師が話を始めても、子どもが聞いていない。
そこで話を止め、子どもが教師の方を向くのを待つ。
話し終わると、
「分かりましたか」
と尋ねる。
子どもたちは、
「はい」
と答える。
これで、教師の話は子どもに届いたのでしょうか。
「子どもに教師の話を聞かせる」と考えていると、教師の努力は、姿勢や返事を整えたり、もっと上手に話したりする方向へ向かいます。
しかし、教師が話をする目的は、そこではありません。
目的を取り違えれば、努力する方向も違ってしまいます。

教師の声を耳に入れることが目的ではない
子どもが教師の方を向き、声が聞こえる状態をつくる。
これは、教師の声という音波を、子どもの耳に入りやすくするための働きかけです。
もちろん、声が聞こえなければ話は始まりません。
しかし、声が耳に入っただけでは、教師の言葉が届いたことにはなりません。
子どもが教師を見ながら、
「早く終わらないかな」
「また同じ話だ」
「自分には関係ない」
と思っていれば、教師の声は聞こえていても、その意味は受け取られていません。
「分かりましたか」という問いも同じです。
子どもが「はい」と答えたことから分かるのは、返事をしたということだけです。
教師の言葉をどのように受け取ったのかまでは分かりません。
教師の言葉が届くとは
教師が子どもに話をする最低限の目的は、教師の言葉を受け取った子どもが、その意味を自分の頭の中で考えることです。
「先生が言っているのは、どういうことだろう」
「こういうことなのかな」
「自分にも関係があるかもしれない」
耳に入った音が、子どもの中で意味のある言葉となり、自分なりに捉え直される。
そこまで進んで、教師の言葉が子どもに届いたといえます。
ただ、教師の言葉を理解したからといって、すぐに言動が変わるわけではありません。
分かっていても、できないことがあります。
分かっていても、やりたくないこともあります。
言動の変容まで求めるなら、その後にさらに別の働きかけが必要です。
そのことは理解しておく必要があります。
目的が変われば、教師の努力も変わる
子どもが教師の言葉の意味を考えることを目的にするなら、教師は、子どもがその言葉を受け取ろうと思えるように努力するはずです。
例えば、
「みんな、疲れているよね。でもさ」
と、子どもの今の気持ちから話し始める。
子どもが、
「先生は、自分たちのことを分かっている」
と思えば、その先の言葉を聞こうとします。
また、上から正解を与えるのではなく、教師も同じ問題を考える一人として話します。
子どもが、
「先生は命令したいのではなく、みんなが納得できる答えを探している」
と感じれば、自分もその問題について考え始めます。
教師だけが語るのではなく、
「あなたは、どう考えているの」
と子どもの意見を求め、学級へ返すこともあります。
同じ立場の仲間の言葉だからこそ、
「それなら、そうかもしれない」
と受け取れることがあるからです。
これらは、言葉を物理的に子どもの耳に届ける目的では生まれない技術です。
子どもが言葉を受け取り、その意味を考えるという目的から生まれた技術なのです。

目的を見失わない
子どもに教師の話を聞かせようとすれば、教師の努力は、子どもの外側へ向かいます。
子どもが教師の言葉を受け取り、その意味を考えることを目的にすれば、教師の努力は、子どもの内面へ向かいます。
教師の話し方を磨く前に、何を実現したいのかを確かめる。
目的を見失わず、磨く方向を間違えなければ、教師の言葉が子どもに届くという成果へ近づいていくのです。
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