教師は、子どもと関わるとき、その場で起きたことに応じて言葉を掛けます。
子どもがよい行動をしたら褒める。
問題が起きたら指導する。
意見を聞きたいときは、全体に問い掛ける。
ごく普通の関わり方です。
では、それだけでは不十分なんです。
子どもが何かを言うのを待つ。
よい行動が表れるのを待つ。
問題が起きてから対応する。
それでは、教師の働き掛けは、いつも子どもが動いた後から始まることになります。
私は、子どもが動き出す前にも働き掛けます。
教師が意図的に「仕掛ける」のです。
学級委員を決めるだけでよいのか
例えば、学級委員を選出するときです。
立候補者を募る。
立候補者がスピーチをする。
子どもたちが投票する。
その結果、学級委員が決まります。
よく行われている方法です。
「あるよ、そういうの。それではダメなの?」
そう思うかもしれません。
もちろん、学級委員は決まります。
しかし、教師には、学級委員を決めることよりも上位の目的があります。
立候補した子には、学級のために働くことの意味を考えてほしい。
選ばれた子には、仲間から託された責任を受け止めてほしい。
選ばれなかった子には、立候補した勇気や、学級に貢献しようとした思いの価値に気付いてほしい。
選ぶ側の子には、仲のよさや人気ではなく、自分たちの学級に必要な人を考えてほしい。
そこまでを目的にするなら、立候補、スピーチ、投票という手続きを用意するだけでは足りません。
教師の仕掛けが必要になります。

問い掛ける前に仕掛ける
学級全体に、突然こう問い掛けたとします。
「どのような人を学級委員に選びたい?」
子どもたちは、すぐに考えを話せるでしょうか。
何を基準に考えればよいのか分からず、沈黙するかもしれません。
「しっかりした人がいい」
「責任感のある人がいい」
といった、漠然とした意見だけで終わることもあります。
そこで私は、学級全体で話し合う前に、何人かの子と雑談をします。
「学級委員は、みんなのために動ける人がいいよね。どう思う?」
「学級の代表だから、学級の外でも信頼される人がいいと思うんだ」
「予定を早めに伝えて、みんなが困らないようにできる人も大切だよね」
子どもに答えを覚えさせるためではありません。
学級委員とはどのような役割なのかを、その子が考え始めるために仕掛けているのです。
その後、学級全体に問い掛けます。
「私たちは、どのような人を学級委員に選びたい?」
事前に話した子が、
「学級のために動いてくれる人がいいと思います」
と話すかもしれません。
その言葉を聞いて、ほかの子も考え始めます。
「困っている人に気付ける人がいい」
「予定をみんなに伝えてくれる人がいい」
「やさしい人がいい」
「いつでも、誰にでも公平な人がいい」
教師が事前に考えていなかった意見も出てきます。
教師は、それらの言葉に表れた子どもたちの思いを受け止めればいいのです。
「なるほどね」と。
教師が正しい答えを説明するのではありません。
子どもの言葉から、学級委員を選ぶ基準がつくられていきます。
心理学では、人が自分で理由や主張をつくることによって、自分自身の考えや態度が動く働きを「自己説得」と呼びます。
教師から「学級委員はこういう人がよい」と説明されるだけでなく、子ども自身が考え、自分の言葉で話す。
そこには、自己説得に近い働きがあります。
自分で言葉にする過程そのものが、その子の思考を育てるのです。
集団の中で共有される「何が望ましいか」という基準を、「集団規範」といいます。
一人の子どもの言葉が、ほかの子どもの考える材料になる。
そうして、
「この学級では、みんなのために働くことを大切にする」
「誰に対しても公平であることを大切にする」
という価値が、子ども同士の言葉によって少しずつ共有されていきます。
教師の仕掛けは、一人の子どもの思考だけでなく、学級が大切にする価値にも影響を与えるのです。
教師の仕掛けとは何か
私が考える教師の仕掛けとは、育てたい子どもの姿を思い描き、その姿につながる言葉や問いを、事前に子どもへ働き掛けておくことです。
仕掛けたことが、そのまま表れるとは限りません。
事前に話した子が、何も言わないこともあります。
教師が予想していなかった方向へ、話合いが進むこともあります。
それでよいのです。
仕掛けには、教師の意図があります。
どのような心を育てたいのか。
どのような学級にしたいのか。
方向性をもって働き掛ける以上、誘導的な面がないとは言えません。
しかし、子どもに決められた言葉を言わせ、教師が用意した結論へ進ませることが目的ではありません。
子どもが違う意見を出してもよい。
教師の予想を超えた考えが生まれてもよい。
何も表れなくてもよい。
教師が仕掛けるのは、答えではありません。
子どもが自分で考え、言葉にし、行動し始めるためのきっかけです。
仕掛けには二つの型がある
私が考える仕掛けには、大きく二つの型があります。
一つは、特定の場面に向けて仕掛ける方法です。
この授業で、子どもにどのような考えをもってほしいのか。
この話合いで、どのような意見が交わされてほしいのか。
この行事を通して、どのような思いを抱いてほしいのか。
実現したい姿から逆算して、誰にどのような問いを投げるのか、どのような価値を伝えておくのかを考えます。
学級委員選出の前に、何人かの子と学級委員の役割について話しておくのは、この型です。
もう一つは、学級文化を長い時間をかけて育てるために仕掛ける方法です。
学級全体が温かな雰囲気になるように。
仲間を認めることの喜びを感じられるように。
自分が誰かの役に立っているという実感をもてるように。
そうした願いをもちながら、日常の雑談の中で、仲間のよい姿を伝えたり、誰かの思いについて問い掛けたりします。
その仕掛けが、いつ、どこで表れるかは分かりません。
翌日の帰りの会かもしれません。
数週間後の話合いかもしれません。
表れないまま終わることもあります。
それでも、日々の生活の中にいくつもの火種を置いておくことで、ある子の言葉が別の子の心を動かし、少しずつ学級の空気をつくっていきます。

一つは、特定の場面で育てたい姿に向けた仕掛け。
もう一つは、長い時間をかけて学級文化を育てる仕掛け。
どちらも、子どもを教師の計画どおりに動かすものではありません。
育てたい姿をもちながら、子どもの中に考えや行動のきっかけをつくる働き掛けなのです。
子どもを育てようとすれば、仕掛けは必要になる
学校には、学級委員選出、係活動、話合い、授業、行事など、子どもが成長できる機会が数多くあります。
しかし、活動を実施するだけで、子どもの心や思考が育つわけではありません。
その活動を通して、誰に、どのような考えや姿を育てたいのか。
日々の学級生活を通して、どのような心や関係を育てたいのか。
そこまで考えれば、教師が仕掛けることは、必然に近くなります。
子どもが動くのを待つだけではない。
子どもが動き出す前に仕掛ける。
同じ活動でも、教師の仕掛けによって、子どもの心と思考の育ち方は変わるのです。
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